終活カウンセラーの角田です。
今週はお客様の変化第二話です。前回は従来お墓がどのように選択されてきたかのお話でした。
今回は、その後デザイン墓が普及していく過程です。
実はデザイン墓が普及したのは岡山より首都圏の方がはるかに早いようです。
それは地震を身近に感じられる地域だったことが大きく影響しております。
私ども岡山で馴染んできた縦長のお墓では重心も高く、一番上の竿石も特に細長いため
地震に弱いと感じられます。
そのため関東では早くから重心の低いお墓(岡山では洋墓と呼ばれていた型)を「横型」と呼び
和型のお墓の一つのタイプとして馴染んできました。
そのため横型からデザイン墓への変化も自然に受け入れられたと思われます。
もちろん岡山でも早い時期から、先進的な人が球の形などオリジナルのお墓を建てるなど例は数多くあります。
しかし、洋型(=横型)からデザイン墓に進化し普及するにはもう一つの要因の進化が必要です。
それは加工費の抑制です。日本の職人さんに加工していただくのは勿論可能ですが相応に費用がかさみます。
それを解決したのが中国加工です。
先に和型の加工を中心に腕を磨いた中国の工場が、様々なデザイン墓の加工を比較的安価にすることを
可能にしたのです。
さらに、通常の立体の組み合わせのデザイン墓では中国に最後まで任せる一方、お客様の要望に基づく
お顔や花など繊細な造形では、粗の加工まで中国で行い、日本の職人さんが
仕上げていくというハイブリットで作り上げることもあります。
最後に「田舎」の岡山では、デザイン墓はお寺さんが拝んで下さらない可能性が
ある時代を経てきました。その頃、お客様の檀那寺によっては事前に許可をいただいていたことも、
今となっては懐かしい思い出です。