終活カウンセラーの角田です。
昨今、巷間でしばしば「墓離れ」が取りざたされておりますが、本当に日本人は
お墓から「離れている」のでしょうか。
私も洋の東西を問わず映画やドラマを見ることがあります。
その中で、職業柄でもないでしょうがお墓参りのシーンに気づくことも少なくありません。
その場面は、故人との対話、故人へのお詫び、敬意、報告と様々なシチュエーションではありますが
象徴的な場面として使われ、なおかつ多くのセリフを要さずとも、その心情を深く窺い知ることができます。
ところで先日のことです。三十数年前に50才過ぎの父親を亡くし、以来地元である田舎に建墓し、
家族で大切に墓参りを続けてこられたご家族、奥様とご長男とご長女の3名でした。
それがお母様も高齢になられ、墓地の斜面を登ることがだんだんと困難になり、
ご長男、ご長女とも地元を離れていることから、新たにバラの樹木葬を選択。
今までのお墓を墓じまいし改葬をすることになりました。
それは、今後も出来る限りお参りを続けたいというご家族が、いろいろな選択肢を慎重に比較検討し、
決断された改葬だったのです。
墓じまいのための魂抜き当日、ご長男がお寺様におことわりを入れたうえで、
読経前に家族を代表してお墓のお父様に向かって話しかけられました。
ご長男は、「いつもの墓参りでは心の中でお話ししていますが、今日は声に出してお話したいと思います。」と
始められました。お父様との思い出や若くして亡くなられたこと。
その後のご家族のことなど簡潔にお話された最後に、
「これまでの大切なお墓をしまい、もっと良いお墓に移ります。それは家族で相談し、
いずれはお母さんと一緒に安心して眠ってもらえるお墓です。」
と締めくくられたのです。
このご長男のお墓への語りかけは、長年この仕事に携わってきた私にとっても新鮮であったと同時に、
深く感銘を受けました。ご長男の声をお聞きしながら、不思議なことに私自身も心の中でフッと
自分の父に向き合っているような気持ちになることができたのです。
もちろん私も亡き父を想い、心の中で語りかけることもよくあります。
それでもお墓にそのために出向き、襟を正して向き合うことは特別な「何か」なのだと思っております。
お墓の形やあり方は変われども、その「何か」こそがお墓の本質だと思うのです。